伊坂幸太郎の『楽園の楽園』を読みました。
読後に様々な思考が駆け巡ったので、書き記そうと思います。
※ネタバレ全開で個人の感想を述べていきますので、ご注意を!
あらすじ
未曾有の大災害が立て続けに発生し、全世界が混乱に陥る中。
これらの原因は、謎の人工知能『天軸』の暴走と考えられた。
そこで、五十九彦、三瑚嬢、蝶八隗の選ばれし3人は、
人工知能の開発者が描いた絵画『楽園』を手掛かりに、
『天軸』の所在を探ることに。
旅路の果てに待ち受ける結末はいかに…。
感想(※ここからネタバレあり)
あらすじ書いてて思ったんですが、「なんだこのフワッフワな内容…」と思いました。
いや、読んでみるとそんなことはないんですが、あらすじからは正直何もわかりません。
実際に読んでください!となりつつ、読んでみるじゃないですか。
「え~~~~~~~~!ここで終わるの?!」
ここで終わるの?!
↑読了直後の率直な感想はこれです。
ここで、ここで終わる…え、ここで…(✕3)くらいの衝撃。
なんか他に展開はないのかと希望を持とうとしても、
五十九彦が文章中で希望を断ち切りに来てる。
「もう俺たち終わりですわ」的なこと言ってます。
すごく放り投げられた感というか、不完全燃焼感があるんですよね。
こんなこと言ってますが、私のこの作品に対する賛否で言ったら賛です。
良い。かなり良い。
結末の衝撃はあるし、続きがない不完全燃焼感もありますが、これはあえての作風なのだろうな
と感じられるからです。
この結末を提示された後に、何を感じ、考えるのか。
その幅がとんでもなく広い、深いと思います。
巨大樹の前では、すべてが細かいこと
読了の衝撃の後、胸の内にやってきた感情は「今までのこと、全部意味なかったじゃん」です。
悲観的になりすぎでは??
いえ、あの、違います。
意味がある「意味なかったじゃん」なので、説明させてください。
『楽園の楽園』から感じ取れたこととして、
「今までの物語、登場人物の背景も特に意味はない。
意味があると思い込んでいるのは(読者も含めて)人だけ」
ということがあるんですね。
例えば、登場人物や人工知能の名前を見たとき、
「これ、西遊記がモチーフなんだな」と思った方は多いかと思います。
五十九彦の身体的な特徴も背景も、孫悟空みたいだな~と思わせたり。
↑ここ!!ここがミソ!!
これ、勝手に読者が記号づけしているだけなんですよね。
「○○だから△△だろう」って。
人は、物語、意味付け、関連付けに支配されている。
三瑚嬢も作中で似たようなこと言ってましたね。
だから、これからこの本で語られる物語は、
西遊記のように壮大で、驚くような結末が用意されているだろうと
期待したりする人もいるわけです。←主に私です。
でも、伊坂先生の作品だから、なんかめちゃくちゃひねってきそうだな…と
不安になりながら読み進めるわけです。←主に私です。
でもそんなの、巨大樹には関係ねぇ。
人の世界に終わりをもたらすもの、巨大樹です。
いや、この説明も人(私)が勝手に意味付けただけに過ぎないですね。
巨大樹は巨大樹として生きているだけです。
作中ではNIとかなんとか言われてましたけど、巨大樹としてはどうでもいいこと。
それぞれの登場人物の意図や行動や人生はあれど、結局、巨大樹の前では意味をなさない。
かなり大げさに言い換えるなら、
巨大樹という「死」の前では、すべては細かいこと
ということでは?
人は「死」の前ではすべて無意味になる。
立場も、偉業も、物語も関係なく。
(※脱線しますが、作中では登場人物が苦悩する描写とか、読者が感情移入する内容が極めて少なく感じます。上記の結末を提示するのに、登場人物を深掘りするのは趣旨から逸れるからかもしれません)
次行こ!次!
圧倒的な「死」を前にして、
五十九彦たちは「これからどうする?」
となりました。
これから、なんてないんですけど…
そこで、三瑚嬢のハンドサイン。
五十九彦の癖の真似ですね。
「細かいことはいいから先に進もう」
この状況で?!
この先はないって言ってるじゃん!
最初はそう思いました。
ただ、改めて「細かいことはいいから先に進もう」
の意味を考えてみたんですね。
何らかの出来事が起こったとき、人は原因を求めがちです。
その原因が分かればいいですけど、
そもそも原因なんてないのかも?みたいなことってあるじゃないですか。
作中で起こったことは上記に当てはまると思います。
何らかの事象や、何かの行動によってそうなっただけのこと。
それって原因=大元の出来事があるじゃん!と言われそうですが、
あったとしてもどうしろと…というか、原因探しが解決にならない場合がある
くらいに思ってもらえるといいかと。
では、その出来事に対して、「これからどうする?」です。
→細かいことはいいから先に進もう
これだ
つまり、行動するしかない、なるようになるってことだと思うんですよ。
結末の「死」の前では物語も意味がない。
逆に、「死」に至るまでは、物語はどうあってもいいのかもしれない。
どのように生きても、どう物語を作ってもいい。
したいようにするしかない。行動するしかないんです。
逃れられない終わりがあるなら、次に行ってもいい。
物語があろうとなかろうと、終わる時は終わるのだから。
これって人生じゃない?
急に主語がデカくなるヲタク…(死の時点で主語がデカい)
つまり、本作から感じたことは、
次行こ!次!
ってことです。
うまくいっても、いかなくても。
調子良くても、悪くても。
例え、死ぬ間際であっても。
行動してみましょう。できればしたいことを。
衝撃の結末から考えたら、思ったより前向きな感想になりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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